○について、これだけあれこれアドバイス出来るひろゆきさんはすごいよね。普段から現実というものをしっかり見てるんだろうな。自分は、○についてはただただ怖いだけw
ひろゆきさん、本当は優しい人なんじゃないかな。
弱い、あるいは過敏なんだと思うよ。 家族や友人が苦しむ姿を見ていられないんだから。

患者さん本人の苦しみが、○の恐怖なのか?病魔による痛苦なのか? 他者には判らんし、ばあいによっては患者本人にも判らんときもあるけど、○んでくれれば、見てる側にとっては終わる話だからね。

それは無いw
私もひろゆきさん、お優しいと思いました。
ひろゆきなりのやさしさとかいうひろゆき視聴者特有の常套句好き
ひろゆきと友達になるというハードルさえ越えれば3000万が俺の手中に
このコメ好き‪w

私もひろゆき派です。
自分は薄情な性格と今まで思ってたけど
少し安心しました(*´-`)
苦しんでるのであればツラい時間を長くするより早く楽になって欲しいと思います。
苦しんでいるなら『苦しいんだなぁ』とは思うけど、
そこから
『ツラいだけの時間(余生)だと思っている』とか、
『早く楽になりたいと願っている』と、
患者の気持ちを自分勝手(薄情)に想像したり言ったりする状態にはなりたくないけど、
自分がそのような状況になると、自分勝手(薄情)になるかもなぁって思う。

患者当人が「ツラいだけの時間だ」とか「早く楽になりたい」と言うなら、
あぁ、そうなんだぁ って受け止めるだけ人でありつづけられたら、と願うなぁ。

「薄情な状態になっていない私」でありつづけられれば、
苦しんでる姿には「苦しんでいる」としか判らないままであり続けられると思う。

苦しい状態のときに「自分なら」と思うことがあるけど、
それを他者にまで求める傲岸さを持たぬように心がけているよ。

なるほど。
確かに患者さん自身がどう感じているかにもよりますし、その事に対して自分がどう感じるのかもその状況にならないと分からないですよね。
感情を上手く表現するのは難しいですね。
ありがとうございます。
なんか色々残りました。
質問主がこれからそのこと背負わんと生きてけるようにこんなにも熱弁するところ、可愛いよな
頑張ってどうにかなるわけでもなく、その言葉でなにか変わるわけではないとしても、自分に生きていて欲しいと思ってくれる人がいると感じられるのは本人にとって幸せなことなんじゃないかな🤔
まあ○にかけたことがないからわからんけども
身内の危篤で○を悟って何も言わずにいたら母親に声かけろとかク○とか心のない人間とか散々言われたっけか
生○の境で頑張れとかほんとに理解に苦しみます
母親がク○過ぎる…。
身内の危篤を前にして「理解不能な言動」は、仕方ないんじゃないかな?

普段から誰もが認める気丈な人ならビックリしないけど、殆どの人は、人の生○を目の前にしたら、多少なりとも妙なこと口走るモンだよ。

君の母親って君とは違って池沼の可能性あるな。
シンプルにこめ主が不憫。嫌み抜きで純粋に。私もどちらかというと頑張れって言うくらいなら無言の方がましやとおもうタイプだから余計。大体、無言でいただけで、怒られたり罵倒される筋合いないよ。
本人の○に悟れるのは、本人だけ。

本人じゃないのに「悟った」のを見透かされたら、傲慢・傲岸不遜の謗りは仕方ない。

心肺停止が何回も何回も目の前で起きたとしてもそれ同じ事言えますか?
BGMのピアノのせいで○呑んでる40過ぎたオッサンの戯言が感動的な話しっぽくなってる
うん、感動した!
癌で母が亡くなる時、みんな『頑張れ』って言ってたけど、『まだ頑張らせるのか?』と、ちょっとイラッとしたな。
自分は『ありがとう』って言いました。
ひろゆきさんに100%同意です。
私の母も最後の2年間は苦しいだけの日々でした。
息を引き取った瞬間に、ようやく楽になれてよかった、と心から思いました。
大切な人と1分でも長く一緒にいたいという気持ちは理解できますが、ただ長く生きて欲しい、頑張れ頑張れと言うのは生きている者のエゴなのでは、と思ったりします。
生きてるだけで命は素晴らしいことなのは大前提だけど、
どう生きたか、自分の信念に嘘をつかずに生きれたか。が大事だよね
我が人生悔いなしと言って命尽きるのが理想かな
BGMに流されるなー‼️
「アツイ」のか「シビア」なのか「合理的」
なのか「シュール」なのか・・・好きだわぁ。
状況によるけど、ひろゆきさんのこれはある意味本当の優しさだと思う
ひろゆきって普通に優しいんだよね…
去年父親で身近に体験しました。僕はどうしても父の○を受け入れられないままずっと寄り添っていましたが、兄はやっと楽になって良かったねと声をかけていました。その人を想っているなら自然な発想なのかと思い自分は薄情者だと当時から感じています。当時の行動を振り返ると後悔が多いです。覚悟を決める事で接し方や考え方も変わってくるのかなと思いました。
人の○を前に、色んな態度があるのが自然で、
態度(覚悟=受け止め方)が統一される(決まる)方が不自然。

まぁ、様式美(正解)にこだわる人が増えているけど。

悲しみを耐えるも、さらけ出すも、どちらも「情」のなせる業。

頑張れって言って帰っていった人は、家では楽しいことしてます。
病室に残された人はずっと苦しい思いをしてます。何を頑張るのか…。
例えば、もう限界の状態を自分で悟ってる選手の場合、激痛や激プレッシャーに常に頑張って耐えているなか周りから無責任に励まされたら【これ以上何を頑張れと?~】と思うかもしれないね。

貴方にとっては、五輪選手に「頑張れ」も、言ってはならない言葉なんだろうね。

 確かにあなたのおっしゃる通り何を言っても曲解する人間相手ならば手の施しようはないでしょう。それに「頑張れ」という言葉をかけてもらうのが嬉しい人もいるのもその通りでしょうね。
ただそんなケースばかりでもないでしょう。
来たことが嬉しい(何を言われても嬉しい)と表記されてますが、例えば来てもらったことが嬉しくても傷つくような言葉を浴びせられたら不快に思うのは当然です。出来れば発言の意図を誤解されかねないような言葉遣いは避けた方が無難と言うものです。例えば「頑張れ」という言葉だと目的語が抜けてるので聞き手がいちいち想像する手間がありますね。今回の場合は聞き手が危篤ということで、身も蓋も無いですが頑張った先にこの先に待ち受けてる未来が苦痛からの○であるという中なお、以前から常人の想像を絶するような激痛に耐えに耐えぬいている状況なわけです。頑張った先に何が見えるのかわからないそんな状況の中、その痛みの何も知らない周囲に励ましの言葉をかけられてしまったら、今までの頑張りを軽くみられるように感じてしまたり、目的語の部分を誤解してしまう人がでてくるのはなんら不思議ではありません。
無論、励ましの言葉が一番よい人もいるかもしれないので一概にはいえませんが、私なら別の言葉を模索しますね。
【激痛や激プレッシャーに常に頑張って耐えている】て、【もう限界の状態を自分で悟ってる選手】とは具体的にどのような選手のことでしょうか。今回の例示として相応しい状況だという前提のもと文面から想像できるのは、故障による激痛や周りからの激プレッシャーに常に頑張って耐えていて、もう選手生命としての限界の状態を自分で悟ってる選手、ですかね。

ええ、貴方のおっしゃる通り、私にとってはそんな【五輪選手に「頑張れ」も、言ってはならない言葉】ですね。個人的に失礼だと思います。


今回はわざわざ返事してくださりありがとうございました。
私の方からリプしたところ失礼ですが、主張ははもう言えましたし、コメントに意外と時間がかかるというのが分かったので私の方から今後返事は控えさせていただきますね。
具体的には五輪標準記録突破するような選手の殆どですな。
五輪参加選手の殆ど。
貴方にとっては、五輪の試合中の選手の殆どが「頑張れ!と言うのは失礼」なんだろうね。

そして「頑張れと言うのは失礼だ」とする貴方に頑張れと言うのは失礼だが、
「貴方が頑張れと言われると失礼に感じると予想する人」に、頑張れと言うのは失礼ではない訳だ。

「貴方が頑張れ~と予想する人」は貴方じゃないからね。

「私が被○者ならぁ~」の被○者騙り、
「私が遺族ならぁ~」の遺族騙り、
「私が患者ならぁ~」の患者騙り。

騙り好きは多いね。

ひろゆきさんって綺麗事とか言わないし
なんてゆーか…やさしいよね☺️
深みをみせてくれますよね。そこに、やさしさを感じます。
優しくはない。それはもうただの盲信よ。
最後の忙しくして下さいって発言に不覚にもヒロユキ優しいと思ってしまう。
私は昨年、父を亡くしました。意識も戻らず、息が小さくなっていく中で、「今までありがとう。お父さんの子供で幸せだった。子供達を可愛がってくれてありがとう。」と言い続けました。それでよかったです。
苦しみから解放されて、よかったと思いました。何も言えなくても、伝わっていると思います。
ひろゆきのこういうとこ好き
ひろゆきのこういう言葉救われる
要するに「(○ぬと悲しいから私のために)頑張って生きて」ってことなんだよな。実は自分のことしか考えてない。
確かにwww
息子さんだと遺産の醜い争いもないので、ひろゆきの言うとおり、何か時間を費やす物が正解だと思う。空の巣症候群も似た感じゃないかな?ペットはいい案だと思う。自分も拾われた身です。飼い主には感謝してるのでwin-winになります。
何も言えなかった人の方が家に帰ってからも○後もずっと○者の事を考えてくれてる事を思い出しました
何も言えない事は病状の苦しさをわかってくれてる事だから
○に向かう時の苦しさそれをわかってくれてる相手がいることはホッとする
慮って何も言えない事も、背中を擦られてるような温かさと一緒なんですよ
私は8年前に親友を亡くしましたが(享年26歳)、精神的に支えてもらってばかりで何も恩返しできなかったなと未だに感じています
祖父はモジモジして何も言えない私に「わざわざ来てくれただけで嬉しいんだ。 はよお迎え来れば良いのに!でも、まだ生きてたのか?ク○ジジイでも、嬉しいんだよ。」と言ってたくれた。

それなのに「何を言えば、もっと○○になるのでは?」と、欲張る。

人間ってつくづく欲深い生き物だね。

3000万貸すのカッコいい
知人が闘病中『息子が○なないでと言うから延命治療を受けている。自分は本当はもういいと思っている。』と生前言っていたと後で聞いた。最期まで願いを叶えてあげようとしていたのだな、と思った。
亡くなった時のその変わり様は、激痛が消えなかったからなのだろうかと思い出す。
○を前にしても「まだ我が子にしてあげられることがある」ってのは、親として嬉しいことですね。
BGMのパワー強すぎて草
赤の他人の年配者が「早く結婚しなよー」って押し付けがましく言ってくる場合、

「じゃあ結婚した後にかかる費用全部、面倒みてください」って言い返すタイプなんで、激しく同意します。

「頑張って」はこれから手術や治療に向かう人に対してかける言葉であって、長らく闘病してきた人にかける必要はありません。
昭和な価値観だと、訪問者は【病状・現状に触れない】ってのが美徳というか、嗜みのような感覚でしたね。

共通の友人やお互いの昔話あるいはテレビは何時まで見ていいのか?とか、いわゆる【世間話的な話題】をして帰るってのが良いとされてましたねぇ。 帰る時はグッバイではなくシーユー(また来るよ)。

それは「何しに来たのか判らない」くらいのレベル。

でもね、今は成果主義の時代なの。 「どんな言葉が【正解】ですか?(どんな言葉だと加点減点・高評価や無思慮になりますか?)」ってのが、気になって仕方ない人が多い時代なの。


あ~~~、それそれ‼️🌟
私の感じてた事です‼️😃💡

本人の前で、悲しんだり哀れんだり
本人に気を使わすんじゃねーよ
まだ生きとるわぁっ‼️💢😠💢
って、心の中で叫んでました。
有難う御座いました。

受け側の性格が全てなんだよ。
なんかこの意見には凄く納得する
父が亡くなったとき、やっと楽になれたね。って思い安堵した自分を、優しいふりした冷酷人間だとずっと思ってました。
家族みな同意で延命処置もしませんでした。
最後に大好きな○を脱脂綿に含ませて飲ませたらビクビクっとなりそれっきりでした。
ひろゆきさんの意見、たまに救われます。
○の間際の人に対しては、楽しかった思い出や感謝の気持ちを伝えて、亡くなった後に「辛かったね…よく頑張ったね」と手など握ってあげられたら、良いのかと思う…
すごくいい人生送ってても最後○ぬ時になったら、終わりがこんな苦しいなんて と苦しい現状で人生の良かったこと思い出せなくて、自分の人生何だったんだろうってネガティブになってしまうと思う だからたしかに、楽しかった思い出をいっぱい話してくれるのはいいですね。
何かを言って満足できるなら言えば良いし、何も言わずとも満足できるなら手を握るだけでも良いし、お見舞いに行かなくても良い。

ただ、見守る側同士で相手方への満足を求めるのを、止めれば良いことなんだと思うよ。

○を前にした人に「頑張れ」と声をかける見舞い客に腹を立てるのを止めれば良い。

「頑張れ」と声をかけた人にも、その人なりの思いがあるんだから。

助かる見込みがないなら(ここ重要)
もうちょいでいとこの姉ちゃんとかも来るからもうちょい頑張ろう。って言ったけど、おばあちゃんが苦しそうだからって「もういいよ」って言ったら、爺ちゃんそのまますぐ心臓が止まった。
あ、人間○に際に聴覚が最後まで残ってるって言うけどホンマなんだな。って思った
医者が言ってました。 本人が「はよお迎え来て欲しい」と言ってても、本心が生きたい!って人は医者の予想より長くなるし「1日でも長生きたい」と言ってる人でも、本心は楽になりたいって人は「もたないんだよねぇ」と。

生きてるっては、それそのものが本人の本心は、まだ頑張る気があるんだと受け取って良いんだと医者は言ってた。

私も意識のない祖父に対して頑張れとかじゃなく自然と昔の思い出を独り言のように延々と話していました。
でも、「頑張れ」という言葉は「もっと一緒にいたい」と同じ意味じゃないのかな。
発言した方の本意はそうなのかもしれませんが、言葉って字面が変わるだけでどう伝わるかがかなり変わってしまいますからね…。
テンプレートの表現に逃げずに、相手の事を第一に考えた言葉をかけてあげるのが、亡くなろうとしている方への最大限の配慮なんでしょうね。
もっと一緒にいたい

その時の頑張れって言葉は
祈りを超えるような
「想い」って事ですよね

凄く共感出来ました。
ありがとうございます。

ひろゆき氏は何事にも損得勘定があるから、○期の近い人への見舞いには、患者本人ではなく、患者の家族が「ご満足いただける言葉」を選択すべきって考える。

それもまぁ、1つの処世術だよね。

「もっと一緒にいたい」って、本人が1番そう思ってるでしょうし、それでもどうにも出来ないことだから、こんなことですら伝えるか迷ってしまいます。
考えてるだけで何も伝えられない自分がほんとに嫌になりますね。
コメント見て涙止まんないです。