体に痛いことが無いだけで幸せだよね、腹痛とか頭痛とか関節痛が全く無い時とか滅多に無いから…
ひろゆきさんの突き抜けた頭の柔らかさが伝わってきます。
生きる価値や生きがいを特に必要としない生き方ができると言うことは、
今不足がないということで、常に今が十全であるという生き方なんだと思います。
生きる価値や生きがいを特に必要としない生き方ができると言うことは、
今不足がないということで、常に今が十全であるという生き方なんだと思います。
「幸せカウント」ほ素晴らしい習慣だと思う。
喜びや楽しみはいつだってそばにありますよね!
ぼくは毎日ちょっとずつ部屋の掃除して断捨離して綺麗になって行くのが楽しい
5:42う○こして気持ちよかったは笑った
9:26 太刀の立ち回り
なぜかツボった
なぜかツボった
ひろゆきの生きがいすき
最後面白すぎ
ひろゆきさんて、毒舌なのかな?って漠然と思っていました。そのぐらい知らなかったんです。。。でも、ひろゆきさんの事を知って、とにかく納得でしかないし、泣きそうです。もっと早く知っていれば。。。変な悩みなんてしなくてよかったな。
あと、こんな風に話すのが上手だったらいいですね。
あと、こんな風に話すのが上手だったらいいですね。
切り抜きで1番有能
食後の一服が楽しいです
生きる価値が測れたらノーベル賞100個分くらいもらえるよ
毎度ひげおやじのこと性格の悪い○んだ魚の目をしてるデブのおっさんって言うの面白w
好きの反対は嫌いじゃなくて無関心と言いますからね。
お、おお、
本当にひろゆきさんはひげおやじさんの事好きなんだなあ。だから人生それなりに楽しく暮らしてるって言えるんだ。うらやま…。
ひげオヤジさんは、これだけ例えに使われてる時点でかなり価値高いよねw
ひろゆきさんに とっては 例え話がしやすい ヒゲおやじさんは 生きている価値がありますよね
ひろゆきさんが亡くなったら私は悲しいよ。そして1年後も悲しいなぁって泣くと思います。
私より一日でも長く生きていて欲しいとわがままな事を考えています。
私より一日でも長く生きていて欲しいとわがままな事を考えています。
まとめさん、最近めっちゃ伸びてない?笑
髭親父の話になるとニヤニヤニタニタうれしそうに話すな~
00:00 「生きる価値」は無い①02:28 「生きる価値」は無い②02:50 「生きがい」は無い①06:42 「生きがい」は無い②08:02 科学が発展しても宗教が無くならない理由09:13 ひろゆきの生きがい補足:02:50〜の動画ですが、元動画の配信状況が悪く飛び飛びになって聞きづらい箇所があります。ご了承いただければと思います。
なんだかんだ言ってひろゆきさんは○んだ魚の目をした髭親父さんのことお気に入りだよね😁よく例えに出てくる🤣
2:20ここ草。
今の生き甲斐「除毛」
すごい
調子づいてる人間には鉄槌をくだすが地に落ちた人間には優しいひろゆき
生きることに意味がない時点で、生きがいもないし、生きる価値のある人もいません。
しょっちゅう出てくる「○んだ魚の眼をしたデブのひげ親父」さんってどんな人だろう。今度動画検索してみよ。きっとひろゆき氏、ひげ親父さんのこと大好きだよね。wあと「そもそも”生きる価値のある人”っていますかねぇ?」っていう話、今の小中学生に聞かせたいわ~。今の教育って「世の中の役に立てる人になれ(つまり”生きる価値のある人"になれ)」ということばかり。そういう「洗脳」をされるといじめやSNSでの誹謗やリストラという目に遭ったときに「ああ、オレって"生きる価値がない人間”なんだ。んじゃタヒのう。」となる。今の若い子等だとさしずめ「人生リセマラでまた転生ガチャ引けばええやん!そのうち金持ちの家庭のイケメンに転生するだろ。」っていうノリかな?真面目な人ほど鬱になりやすく、若い子ほど簡単に自○する言うのはまさにこの構図ですよね。
最初の言葉、ひろゆきさんは親に対しても言えるのかな?親の価値がないと言ってるのと同じ
ひろゆきはあの世でも論破してそう
ニッコニコで話すのすこ
この辛辣に聞こえるひろゆきの理論って、数あるひろゆき名言の中でも特に弱者を救える理論だと思う。自分には生きる価値も意味も無く、生き甲斐も無いと悩み、物事を深く考え込むタイプの悩み人を救う言葉。薄っぺらな知識人とかは、生き甲斐や生きる意味は一生かけて探すべき物とか、誰にでも生きる価値は有るとか、耳触りが良い意味の無い言葉で濁す。その言葉が悩み人を更に攻撃してしまうって事も考えずに。ひろゆきのようにあっけらかんと人に生きる意味なんか無いっすよ🤣生き甲斐なんか幻想っすよ🤣人類の99%はう○こ製造機🤣これを聞いたら悩んでる事がバカバカしく思えて明日も生きるかって笑えてくると思う。これだからひろゆきファンはやめられない🤣
「生きるのが辛い」という人には、大きく分けて2つのタイプがあると思います。1つは、人生の目的や生きる意味を求めたから辛くなっている人(人生の目的や生きる意味が見つかっても、又は見つかったから辛い人)もう1つは、人生の目的や生きる意味を自分から求めないから辛い人(人生の目的や生きる意味が無いから、又は見つからないから辛い人)そして、これまでのメインカルチャー(既成の宗教など)が、主として後者の人を対象に人生の目的や生きる意味を提示して来たのに対し(前者には、もっと頑張れ!と尻を叩き・・・)、いわゆるサブカルチャーの担い手たちは、逆に前者の人をターゲットにして浸透してきたと言ってよいと思います。(後者には、あなたはそのままで良い!と甘やかす)曰く「人生の目的や生きる意味など無い」「人生は所詮暇つぶしだ」と・・・。しかし、あえて言うなら、メインカルチャーは、サブカルチャーなど無くても存続出来ますが、残念ながらサブカルチャーは、メインカルチャー無しには商売が成り立ちません。何故なら、サブカルチャーとは、所詮メインカルチャーの焼き直しやパロディーでしかないのであって、メインの隙間産業の如く、あるいは小判鮫の如く、おこぼれにあずかる以外禄を食むことが出来ないからであります。つまり、サブはあえてメインに逆らった逆のことを主張することで、自分たちの存在理由、存在価値、そして禄を食むための居場所を見出しているに過ぎないということです。にもかかわらず、いやだからこそ、そんな自分たちの負い目や惨めな現実を誤魔化すために、かえってメインに対する批判を逞しくするのでありましょう。それがまた、お金を産むことにもなるからです。が、率直に申し上げて、サブの担い手たちが、しきりに批判するメインの、例えば宗教組織の金儲け主義としての手口も、サブのやっているそれと大して違いは無いのではないかと思います。それは、サブがメインの焼き直しやパロディーに過ぎないのですから当然かもしれませんが、譬えは悪いが、自らが病人をつくり挙げ、これを増やし、それを自らが治療することで金儲けしている様な手口でしかないということです。要するに、宗教組織の信者さんがお金を落としてくれる良いお客さんであるのと同じで、サブカルチャー的考え方、生き方にシンパシーを覚え、動画や書籍にハマってしまう人たちは、組織立っていないだけで、お一人様の立派なお客さんということであります。
ひろゆきさんって本当にいい人!悩んでる時とかに聞くとすごく参考になるしためになることを教えてくれる!
ひろゆきが○んでも俺の中で生き続けるボケるまで忘れぬ俺の周りの人の中にも私がひろゆきを植え付けとく
日々の小さな幸せに目が向くようなったらいいってことかな。退屈ループに入ると中々抜け出せん。
生きる価値無い人間は刑務所の犯罪者だよ。